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初詣

まもなく今年も暮れようとしていますね
来年は良い年が迎えられるように初詣に
出掛けて見ましょう!
このサイトでは、関東地区の何処の神社やお寺の
詳細を掲載していますので
是非参考にして頂ければ幸甚です。

尚、HPに移動すると詳細が分かりますので
参考にして下さいね♪


明治神宮

明治神宮

明治神宮

明治神宮は、東京都渋谷区にある神社。
明治天皇と昭憲皇太后を祭神とする。
初詣では例年日本一の参拝者数を誇る。


代々木八幡宮


大宮八幡宮

alt=”◆大宮八幡宮” width=”400″ height=”220″ class=”aligncenter size-full wp-image-606″ />

代々木八幡宮は、東京都渋谷区代々木にある神社である。
旧社格は村社。
八幡神として応神天皇を主座に祭り、
天祖社・天照大神、白山社・白山大神を配祀する。

恋愛のパワースポット

代々木八幡宮

恋愛のパワースポットとしても
近年人気を集めている代々木八幡宮。

女性の間では、
縁結びにご利益があるとで知られています。

「恋人とうまくいっていなかったけど、
お参りしてから急に仲が深まった」、

「ずっと男性に縁がなかった女性に恋人が出来た」

などの話も多く、縁結び、好転運の神社です。
また、恋愛成就や恋愛運アップのために
世予備八幡宮を訪れた人が必ず買っていくのが、
水晶の勾玉がついた縁結びお守りです。
邪悪なものから身を守り、
良縁を引き寄せるために買っていく人が多いのだそう。

穏田神社

穏田神社
穏田神社

当社は旧穏田一円の産土神で、
天正十九年伊賀衆が穏田の地を
家康より賜り給地となる。
以後この辺開け江戸時代は第六天社と称し
明治維新の際に穏田神社と改称す。
ご祭神は美容、技芸上達、縁結びの神として尊崇される。

穏田神社は「縁結び」をはじめ
「技術や芸の上達」「美容」のご利益もあります。
祭神は、淤母陀琉神(おもだるみのかみ)、
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ)
櫛御食野神(くしみけぬのかみ)で、
文字だけ見ると難しそうですが、
縁結び、美容といったキーワードからわかるように、
女性を美しく輝かせてくださる神様です。


根津神社

根津神社

根津神社

根津神社は今から千九百年余の昔、
日本武尊が千駄木の地に創祀したと
伝えられる古社で、
文明年間には太田道灌が社殿を奉建している。
江戸時代五代将軍徳川綱吉は世継が
定まった際に現在の社殿を奉建、
千駄木の旧社地より御遷座した。
明治維新には、
明治天皇御東幸にあたり勅使を遣わされ、
国家安泰の御祈願を修められる等、
古来御神威高い名社である。

境内には「乙女稲荷神社」があり、
穴場パワースポットとして、
恋愛運に効果があるパワースポットです。
また、大和撫子としての品格を
身に付けた女性は、
根津神社より優遇されて
素敵な出会いが訪れると言われています。
「胞衣塚」には六代将軍家宣公の
胎盤が納められているとか。

不忍池辯天堂

不忍池辯天堂
不忍池辯天堂

弁天堂

不忍池の中心にあるのは弁天堂です。
寛永二年(1625)―江戸の鬼門を護るため、
京の比叡山延暦寺に倣って
上野の岡に東叡山寛永寺を創建した
慈眼大師・天海は、
常陸国下館城主・水谷勝隆という人に
不忍池を琵琶湖に見立てて池の中に
竹生島を模した小島を築かせ、
竹生島宝厳寺の弁財天を勧請して
弁天堂を建てました。
最初のうちは文字通りの離れ小島で
船を使って行き来していたようです。
のちにだれでも気軽に往来できるように
石橋が架けられました。
増え続ける行楽を兼ねた
寺社参拝客の要望にこたえたのでしょう。
戦災で焼失するという不幸にも
見舞われましたが、
昭和33年に現在の八角形堂宇が再建されました。

弁天堂に祀られているのはもちろん
弁天様…『弁才天』(または『弁財天』)
仏教のあるいは神道の神格であり、
七福神の紅一点として親しまれているのは
言うまでもありません。
江戸時代には勝運守護の神様として
武家から庶民にいたるまで広く
信仰を集めていました。
現在でも開運厄除はもちろん、
長寿や福徳・芸能と幅広い功徳の神様として
大人気なのはだれもが御存じのとおりです。
若い夫婦や恋人同士で参拝すると、
弁天さまが嫉妬をするので、
独り身の人が参拝するに
適した神社となっています。
ここでは「美しさ」と「良縁」の
ご利益を授かることが出来ます。

神田明神


神田明神

神田明神

江戸東京に鎮座して1300年近くの
歴史をもつ神田明神。
江戸時代には、「江戸総鎮守」として
将軍様から江戸庶民にいたるまで
江戸のすべてを守護されました。
そして今もなお、
東京―神田、日本橋、秋葉原、大手町
・丸の内など108の町々の総氏神様として、
江戸の素晴らしき伝統文化を保ちつつ、
それでいて絶え間なく発展と創造を繰り返す、
この東京都心をお守りいただいております。
神田明神の氏子町である東京108の町は、
江戸と東京の生活や文化が凝縮された町々です。

神田神社(神田明神)は、
奈良時代創建の歴史ある神社で、
「明神さま」の愛称で親しまれています。
平安時代に平将門公の墓所とした
地の近くに鎮座していたため、
将門公もあわせてお祀りしています。
特に、徳川家康公が
戦勝祈願をしたところ、
見事に勝利したことから、
多くの尊崇を集め、現代に至っています。
ご祭神の一宮である大己貴命は、
縁結びの神様として江戸庶民にも親しまれ、
いまもあたたかく恋の成就を見守ってくださっています。

日枝神社

日枝神社
日枝神社

当社は武蔵野開拓の
祖神・江戸の郷の守護神として
江戸氏が山王宮を祀り、
さらに文明10年(1478)
太田道灌公が江戸の地を相して
築城するにあたり、
鎮護の神として川越山王社を勧請し、
神威赫赫として江戸の町の繁栄の礎を築きました。

やがて天正18年(1590)
徳川家康公が江戸に移封され、
江戸城を居城とするに至って
「城内鎮守の社」
「徳川歴朝の産神」として、
又江戸市民からは
「江戸郷の総氏神」
「江戸の産神」として崇敬されました。
二代秀忠の時の江戸城大改造の際、
城内紅葉山より新たに社地を江戸城外に定め、
社殿を新築して遷祀されました。
世に元山王と称する地は今の隼町国立劇場附近です。

日枝神社は、
鎌倉時代に山王宮を祀ったのが始まりです。
江戸城を築いた太田道灌公が
川越山王社を勧請し、
さらに徳川家康公から
「城内鎮守の社」とされ、
広く江戸庶民にまで尊崇を受けました。
日枝神社の神様の御使いは
猿なのだそうです。
猿を音読みすると「えん」。
「えん」は「縁」に通じるということで、
縁結び、夫婦円満の
ご利益があると親しまれてきました。
神門や拝殿前には夫婦猿の像があります。
雌猿は小猿を抱いているので、
子宝のご利益もあるそう。


赤坂豊川稲荷

赤坂豊川稲荷

赤坂豊川稲荷

豐川稲荷は
正式名を「宗教法人 豐川閣妙嚴寺」と
称し山号を圓福山曹洞宗寺院です。
一般的に「稲荷」と呼ばれる場合は
「狐を祀った神社」を想像される方が
多いと思われますが、
当寺でお祀りしておりますのは
鎮守・豊川ダ枳尼眞天です。

豊川ダ枳尼眞天とは、
昔、順徳天皇第三皇太子である
寒巖禅師かんがんぎいんが感得された、
霊験あらたかな仏法守護の善神です。
豊川ダ枳尼眞天が稲穂を荷い、
白い狐に跨っておられることからいつしか
「豐川稲荷」が通称として広まり、現在に至っております。

当別院は江戸時代、
大岡越前守忠相公が
日常信仰されていた豊川稲荷のご分霊をお祀りしています。
明治20年に赤坂一ツ木の大岡邸から現在地に移転遷座し、
愛知県豊川閣の直轄の別院となり今日に至ったものです。
豊川稲荷を信仰した方としては、
古くは今川義元、
織田信長、
豊臣秀吉、
徳川家康、
九鬼嘉隆、
渡辺崋山など
武将達から信仰を集めさらに江戸時代には、
庶民の間で
商売繁盛、
家内安全、
福徳開運の神として
全国に信仰が広まりました。

赤坂豊川稲荷の御利益は
縁結びだけでなく、
商売繁盛・芸事向上
・金運アップ・子孫繁栄などがあります。
本殿に祀られている「トヨカワダキニシンテン」のほか、
お金を融通してくれる融通稲荷や芸能の神様
弁財天、縁切りがかなう叶稲荷、
子宝に恵まれる子宝観音や子だき狐など多数の神様が
いらっしゃいます。
あやかりたいパワーを目指して、
一心不乱もより一目散に行くもよし。
とにかく東京都内で
交通の便が良いところなので、
気軽にそっと訪れて参拝するのと
願いが叶うのではないでしょうか?!

氷川神社


氷川神社

氷川神社

氷川神社は社記によると
今から凡そ二千有余年、
第五代孝昭天皇の御代三年四月未の日の
御創立と伝えられます。

御祭神、須佐之男命は

天照大御神と月読命とともに
伊弉諾命から生まれた三貴子の一神で、
八俣大蛇退治など力強く雄々しい
神として知られております。
大己貴命は須佐之男命の御子に坐して
国土を天孫瓊々杵命(ににぎのみこと)に
御譲りになられた国土経営の神です。
稲田姫命は須佐之男命の御妃で大己貴命の御母神です。
この御三神をここにお祀りされたのは
国土経営、民福安昌祈願のためであって、
大和朝廷の威光が東方に及ぶにつれて、
当神社の地位も重くなったと考えられています。

神社の鎮座する地は、
大宮台地の上にあり、
その中でも鼻のように高く突き出た位置にある為、
一帯の地名は高鼻町と呼ばれます。
かつて神社の東側には
見沼と呼ばれる広大な湖沼があり、
豊かな土壌を形成する元となっておりました。
「神沼」、「御沼」とも呼ばれた見沼は
正に豊かな恵みを与えて下さる
神聖な水をたたえた湖沼で、
江戸時代に開発された見沼溜井は周囲
約39キロに及ぶ大貯水池でした。
現在境内にある神池は見沼の名残であるといわれ、
神域の蛇の池からの湧水が豊富に注がれております。
地理的な点から見ても、
見沼をひかえ土地は肥沃で
東西南北に交通の便もよく、
人々は益々繁栄し今日の基をなすに
至ったものと思われます。

第十二代景行天皇の御代

日本武尊は当神社に御参拝し
東夷鎮定の祈願をなされたと伝わっております。
第十三代成務天皇の御代には
出雲族の兄多毛比命が朝廷の命により
武蔵国造となって氷川神社を奉崇し、
善政を敷かれてから益々当社の神威は
輝き格式を高めたと伝わります。
今から凡そ千二百年前の
聖武天皇の御代には武蔵一宮と定められ、
醍醐天皇の御代に制定された
延喜式神名帳には名神大社として、
月次新嘗案上の官幣に預かり、
又臨時祭にも奉幣に預かる等、
歴朝の崇敬を殊の外厚く受けてまいりました。
また武家時代になっては、
鎌倉・足利・北条・徳川氏等相次いで
当社を尊仰し、
治承四年源頼朝公が土肥次郎実平に命じて
社殿を再建、
文禄五年八月には徳川氏が
伊奈備前守忠次を奉行として
社頭残らずを造営せしめ、
寛文七年三月には阿部豊後守を
奉行として社殿の建立をしております。

氷川神社には、

縁結びに縁の深い三柱の神様が祀られています。
素戔鳴尊と奇稲田姫命は、
尊がヤマタノオロチから姫を
救ったことが縁で結ばれたことから、
縁結びの神様のカップルとして、
また、大己貴命(大国主命)は
縁結びの神様として、尊崇を集めています。
境内には港区の天然記念物に
指定されている樹齢400年以上になる
イチョウの古木があり、
あなたの祈りをあたたかく
見守ってくれることでしょう。


乃木神社

乃木神社

明治45年(1912)7月30日
明治天皇が崩御せられ、
御大葬の大正元年9月13日
御霊轜(棺を乗せた車)が
宮城を出発する号砲が打たれた
午後8時過ぎ、
乃木希典将軍と妻静子夫人は
先帝に殉じて自刃を遂げられました。
以降この御夫妻の忠誠心に感激した国民は
こぞって乃木邸を訪れ、
その数は日を追って増していきました。
時の東京市市長阪谷芳郎男爵が
先頭に立って広く同志を集め、
中央乃木会を組織して乃木邸内の小社に
御夫妻の御霊をお祀りし、
毎年9月13日にはその御前に祭儀を
斎行するとともに青少年への研修会を
開催するなど、
御夫妻の精神を永世に伝えようと
活発に活動していました。
大正8年(1919)には
乃木神社創立の許可がくだり、
明治神宮創建の後御造営の事業が起こされ、
大正12年(1923)11月1日
鎮座祭が斎行されました。
昭和20年(1945)5月25日未明の
空襲により本殿以下社殿を悉く焼失しましたが、
戦後全国の崇敬者の熱意により、
昭和37年(1962)9月13日
御祭神50年祭に合わせて
本殿・幣殿・拝殿が復興されました。

明治天皇に忠誠を尽くした
乃木将軍夫妻ゆかりの神社です。
パワーを授かるお守りには、
一対の貝は他の貝とは合わさらないことから、
好きな人と分けられる二体入り
『縁結び守』が人気です。
また、乃木神社境内にある、
よりそひ橋を渡る新郎新婦を模して、
「いつまでも、よりそう二人でありますように・・・」と
願いを込めたお守りの『よりそひ守』も
女性がよく購入されているようです。


出雲大社東京分祠

出雲大社東京分祠

六本木のビル街に佇む出雲大社東京分祠。
縁結びで有名な「出雲大社」の分祠です。

大国主大神

祀られている“大国主大神”は、
恋愛の神様であると同時に、
より大きな愛情で、あらゆるものを
慈しみ育んでくださる神様として
信仰されています。

愛宕神社

愛宕神社

愛宕神社について

愛宕神社がある愛宕山は
標高25.7メートル。
出世階段を登り切った右手には、
山の証しである三角点があります。
天然の山としてはこれは23区内で一番の高さ。
現在のように高層ビルが
建ち並ぶ前の江戸時代には、
見晴らしの名所として、
見物客で賑わいました。
山頂から東京湾や房総半島までを
見渡すことができと言われています。
ちなみに一番高い山というのは、
自然地形でなおかつ“山”と言われるもの。
新宿区の箱根山は44.6メートルですが、
こちらは人造のため、
自然地形では愛宕山が23区内で
一番高いということになります。


芝大神宮

芝大神宮について


芝大神宮


芝大神宮は

伊勢神宮の御祭神、天照大御神(内宮)、
豊受大神(外宮)の二柱を主祭神として
お祀りしています。
御鎮座は遠く平安時代、寛弘二年(1005年)
一条天皇の御代に創建された由緒あるお社です。

古くは、飯倉神明宮、芝神明宮と称され
鎌倉時代においては、
源頼朝公より篤い信仰の下、
社地の寄贈を受け、
江戸時代においては、
徳川幕府の篤い保護の下に
社頭はにぎわい大江戸の大産土神として
関東一円の庶民信仰を集め、
「関東のお伊勢さま」として
数多くの人々の崇敬を戴きました。
その当時の賑わいは、広重の錦絵に窺うことができます。

その後の当宮の社史をみますと、
明治、大正、昭和初期の関東大震災、
太平洋戦争の激動期においても、
数多くの苦難にも耐えて氏子並びに
崇敬者に支えられ現在の御社殿に至ります。


芝大神宮

いまから千年以上も前に創建された神社です。
伊勢神宮の神様をお祀りしているので、
「江戸のお伊勢さま」、「関東のお伊勢さま」と、
将軍家から江戸庶民まで尊崇をあつめ、
大いに賑わったそうです。
この神社のお守りに
「千木筥(ちぎばこ)」というものがあります。
もとは、神社の屋根材の余りで作ったという
縁起物だったそうです。
「ちぎ」が「千着」に通じるとのことで、
「千の衣装を着る」=「着るものに困らない」から、
良縁、縁結びのご利益があると言われています。

東京大神宮


東京大神宮

東京大神宮

江戸時代、伊勢神宮への参拝は
人々の生涯かけての願いでした。
明治の新国家が誕生すると、
明治天皇のご裁断を仰ぎ、
東京における伊勢神宮の遥拝殿として
明治13年に創建された当社は、
最初日比谷の地に鎮座していたことから、
世に「日比谷大神宮」と
称されていました。
関東大震災後の昭和3年に
現在地に移ってからは
「飯田橋大神宮」と呼ばれ、
戦後は社名を「東京大神宮」と
改め今日に至っております。
現在広く行われている
神前結婚式は、
当社の創始によるものであり、
今も神前において伝統的な結婚の
儀式を守り伝えております。

東京大神宮は、
明治の御世に天皇陛下が東京へ
お移りになったときに、
伊勢神宮の神様をご一緒に分社したことが
起源の神社で、
「東京のお伊勢さん」と言われています。
伊勢神宮と同じく、
内宮の天照皇大神、
外宮の豊受大神をお祀りしています。
日本で初めて神前結婚式を行なった
神社としても有名です。
その由緒から、縁結びの神社として、
多くのカップルの幸せを
見守ってくださっています。


今戸神社

今戸神社

後冷泉天皇康平六年(一〇六三年)、
京都の石清水八幡を勧請し、
今戸八幡を創建。
昭和十二年七月に、白山神社を合祀、
今戸神社と改称。
應神天皇の御神徳は武運長久と
慈愛をこめて子を育てる大愛を本願としております。


今戸神社

今戸神社は、

いまから950年前に創建された神社です。
勅命により東北地方を
征討に向う源頼義公が、
武門の神様として信奉されている
京都の石清水八幡宮を
勧請したのが始まりです。
ご祭神のうちの
二柱、伊弉諾尊と伊弉冉尊は、
ご夫婦で多くの国や大勢の神様を
お産みになりました。
このことから、縁結びの神様として
親しまれています。

また、今戸神社は招き猫の
発祥の神社としても知られています。

雄猫と雌猫が仲良く一体となった
良縁招き猫は、愛らしい姿からも
利益がありそうです。

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待乳山聖天

待乳山聖天

大聖歓喜天

当山の聖天さまの
霊験あらたかなことは、
昔より広く知られております。
十一面観音菩薩を本地仏とする
聖天さま(大聖歓喜天)は、
仏法を守護し、
仏道を行ずる人々を守護する
天部の神様でありますが、
私たち衆生の迷いを救い、
願いをかなえさせてくださる大きな
お力を持っておられます。

歓喜天様は
象頭人身の男女の神が
抱き合っている姿をしています。
その姿から特に「夫婦円満」の
ご利益があるとされ、
「子授け」「良縁」「富貴」「願望成就」の
ご利益を授かることが出来るといわれています。
例年1月に行われる「大根まつり」でも有名です。
大根は、体内の毒素を中和して
くれてるという働きがあることから、
歓喜天様を供養するのに
欠かせないものとされています。

浅草寺

浅草寺
浅草寺

浅草寺縁起(由来)
時は飛鳥時代、推古天皇36年(628)
3月18日の早朝、
檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)の
兄弟が江戸浦(隅田川)に漁撈(ぎょろう)中、
はからずも一躰の観音さまのご尊像を感得(かんとく)した。
郷司(ごうじ)土師中知(はじのなかとも:名前には諸説あり)は
これを拝し、
聖観世音菩薩さまであることを
知り深く帰依し、その後出家し、
自宅を改めて寺となし、礼拝供養に生涯を捧げた。
大化元年(645)、
勝海上人(しょうかいしょうにん)が
この地においでになり、観音堂を建立し、
夢告によりご本尊をご秘仏と定められ、
以来今日までこの伝法(でんぼう)の
掟は厳守されている。
広漠とした武蔵野の一画、
東京湾の入江の一漁村にすぎなかった
浅草は参拝の信徒が増すにつれ発展し、
平安初期には、慈覚大師円仁さま(794~864、
浅草寺中興開山・比叡山天台座主3世)が
来山され、お前立のご本尊を謹刻された。
鎌倉時代に将軍の篤い帰依を受けた浅草寺は、
次第に外護者として
歴史上有名な武将らの信仰をも集め、
伽藍の荘厳はいよいよ増した。
江戸時代の初め、徳川家康公によって
幕府の祈願所と定められてからは、
堂塔の威容さらに整い、いわゆる
江戸文化の中心として、
大きく繁栄したのである。
かくして都内最古の寺院である浅草寺は、
「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる
階層の人達に親しまれ、
年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、
民衆信仰の中心地となっている。

仲見世通りを通り過ぎ、
宝蔵門を入った右手にある平内堂には、
昔から縁結びの
ご利益があると言われています。
願文を納めると
恋の願いが叶う神様として
信仰されるようになりました。
浅草寺は昔も今も多くの方が
参拝に訪れるお寺ですので、
この縁結びの神様も
江戸時代にはかなりの
人気があったそうです。


富岡八幡宮


富岡八幡宮

富岡八幡宮は
寛永4年(1627年)、
当時永代島と呼ばれていた
現在地に御神託により創建されました。
周辺の砂州一帯を埋め立て、
社地と氏子の居住地を開き、
総じて六万五百八坪の社有地を得たのです。
世に「深川の八幡様」と親しまれ、
今も昔も変わらぬ信仰を集める
「江戸最大の八幡様」です。

江戸時代には、
源氏の氏神である
八幡大神を殊の外尊崇した
徳川将軍家の手厚い保護を受け、
明治維新に際しては
朝廷が当宮を准勅祭社に御治定になり、
勅使を遣わされ幣帛を賜り、
新しい御代の弥栄を祈念されました。

また、庶民の信仰は江戸の
昔から大きな歴史の変転を経て
現代に至まで変わることなく
篤く受け継がれ、
今も善男善女の参拝は絶えず、
特に毎月1日、15日、28日の
月次祭は縁日として
大変な賑わいを見せています。

八幡さまの鳩や銀杏(イチョウ)を
モチーフにしている根付
(ストラップのようなモノ)が、
若い女性に大人気なんです。

通称「深川の八幡さま」としても
親しまれています。

江戸勧進相撲発祥の地としても
知られていて、
勝負の神様としても有名です。

ご本殿の後ろには、
戦時中の戦火で水を放ち火を消したという
伝説のある一対のイチョウの木があります。

このイチョウの木がデザインされた
根付が縁結びの御守になっているんです。


大宮八幡宮

◆大宮八幡宮

第70代・後冷泉天皇の天喜年中(1053〜57)に、
奥州に乱(前九年の役)が起き、
この乱を鎮めよとの勅命をうけた
鎮守府将軍・源頼義公の軍が
この大宮の地にさしかかると、
大空には白雲が八条にたなびいて、
あたかも源氏の白旗がひるがえるような
光景となりました。

源頼義公は、
「これは八幡大神の御守護のしるしである」と
喜ばれ、乱を鎮めた暁には必ずこの地に
神社を構えることを誓って、
武運を祈り出陣されました。
そして奥州を平定して凱旋のおり、
誓いの通り康平6年(1063)、
京都の石清水八幡宮より御分霊をいただいて、
ここに神社を建てました。
これが当宮の創建の縁起であります。
また、その子八幡太郎義家公も
後三年の役のあと、
父にならい当宮の社殿を修築し、
境内に千本の若松の苗を植えたと伝えられています。
かつては武蔵国三大宮の一つ
「多摩の大宮」
あるいは「武蔵国八幡一之宮」と称され、
昭和44年に境内の北端につづく
旧境内地から弥生時代の祭祀遺跡や
族長の住居跡が発掘され、
この地は太古からの聖域であったことが
判明致しております。
今や大東京の重心「東京のへそ」として、
神々の記憶と数々の日本の歴史へと
誘う胎内回帰の出来る神秘的な
場所とされております。

大宮八幡宮は、
いまから950年前に創建された神社です。

勅命により東北地方を征討に向った
源頼義公は、

この地で大空に白雲がたなびくのを見て、
源氏の白旗がひるがえるようだと感じました。
源氏の氏神として信奉している八幡大神に、
戦勝のあかつきには
この地にお社を構えることを誓い、
見事勝利したことから、
京都の石清水八幡宮を勧請したとのことです。
八幡大神として信奉される応神天皇と、
その父天皇と母宮をお祀りしていることから、
縁結び、良縁のご利益があると親しまれています。


伊豆美神社


伊豆美神社

約1100年前平安時代宇多天皇時
「六所宮」として奉斎。

関東一円の主要神社をまとめて祭る。
関東三大鳥居のひとつである。
教科書教材万葉歌碑を有する。
小泉次大夫吉次も末社に祭る。

深大寺

商売繁盛、病気平癒の御祈祷盛んに斎行。
緑の多い社。


深大寺

深大寺

深大寺界隈(かいわい)は週末ともなれば、
寺をとりまく自然や、

名物の深大寺蕎麦にひかれ、家族連れ、
老若男女で大いに賑わいをみせます。

武蔵野の面影を残す深大寺周辺は、
昭和三十六年に開園した
隣接の都立神代植物公園とあわせて
都人好個の散策地、憩の場所として有名です。

江戸時代文化年間の紀行文『遊暦雑記』は、
「この村は幾処となく溪あり坂あり、
高低定めがたくて莫大に広し…
実も、深大寺の辺は大樹繁茂し、
野猿の清澄(せいちょう)、
澗水(かんすい)の音のみ聞えて

更に一切の俗事をはなれ、
寂々寥々として心月を観ずるべき勝地ならんかし」
と伝えています。

現在から約1300年前、

奈良時代に開山された深大寺。
ふたりの男女のロマンチックな
恋物語が起源となり建立され、
恋愛成就・縁結びのご利益が
授かれるお寺として人気を集めています。
周辺は豊かな自然に囲まれ、
カップルでのデートにもオススメです。


大國魂神社

大國魂神社

当社のご祭神は、
大國魂大神おおくにたまのおおかみで
武蔵の国魂の神と仰いでお祀りしたものである。
この大神は 素盞鳴尊すさのおのみことの御子神で
むかしこの国土を開拓され、
人民に衣食住の道を授け、
医薬禁厭等の方法をも教えこの国土を経営された。
当社の起源は、
人皇第十二代景行天皇四十一年(41)
五月五日大神の託宣に依って造られたものである。
出雲臣天穂日命の
後裔が初めて武蔵国造に
任ぜられ当社に奉仕してから、
代々の国造が奉仕して
その祭務を掌られたといわれる。
その後、孝徳天皇(五九六-六五四)の
御代に至り、
大化の改新(六四五)のとき、
武蔵の国府をこの処に置くようになり、
当社を国衙の斎場とし、国司が奉仕して
国内の祭務を総轄する所にあてられた。
又、国司が国内社の奉幣巡拝、
又は神事執行等の便により国内諸神を配祀した、
これが即ち武蔵総社の起源である。
後に本殿の両側に国内著名の神、
六所 (小野大神・小河大神・氷川大神
・秩父大神・金佐奈大神
・杉山大神)を奉祀して六所宮とも
称せられるようになった。
寿永元年(1182)に至り、
源頼朝が葛西三郎清重を使節として、
その室、政子の安産の祈願が行われた。
文治二年(1186)
頼朝は武蔵守義信を
奉行として社殿を造営し、
また貞永元年(1232)二月に
将軍頼経の代にも武蔵守資頼を奉行として
社殿が修造せられた。
又、天正十八年(1590)八月、
徳川家康が江戸へ入城してからは
武蔵国の総社であるために
殊に崇敬の誠をつくし、
社領五百石を寄進され、
社殿及びその他の造営に心力をつくされた。
正保三年(1646)十月、
類焼により社殿は焼失したが、
寛文七年(1667)
将軍家綱の命により、
久世大和守広之が社殿を造営し現在に至る。

形式は三殿を横につらねた朱塗りの相殿造りで、
屋根は流造りであり、

慶応年間に檜皮葺が銅葺に改められた。
本殿は都文化財に指定されている。

明治元年(1868)
勅祭社に準ぜられ、同七年(1874)県社に列し、
同十八年官幣小社に列せられた。

当社はもともと大國魂神社と称したが、
中古以降、武蔵の総社となり、
又国内著名の神六所を配祀したので
「武蔵総社六所宮」の社号を用い、
明治四年(1871)にもとの社号に復し
「大國魂神社」と称するようになった。
当社は神威殊に顕著であるので、
古来より崇敬者は、武蔵の国はもちろん、
関東一円に亘っている。
五月五日には例大祭が行われるが、
この祭が有名な国府祭で、
当夜八基の御輿が古式の行列を整え、
消燈して闇夜に御旅所に神幸するので、
俗に「くらやみ祭」といわれている。
昭和三十六年(1961)より
御輿の渡御は夕刻に改められた。

大國魂神社は、
いまから二千年近く前に創建された
歴史ある神社です。
古代より、現在の東京都と神奈川県の
一部である武蔵国の総社として
尊崇を集めてきました。
お祀りする大國魂大神は、
大地を守護する神様です。
また縁結びの神様として有名な
大国主命を大国魂神と
お呼びすることがあるので、
縁結びの神様としても
信奉されています。

子安神社

子安神社

当神社は当市最古の歴史を持ち、
今を去る千二百余年、
青丹よし奈良の都は天平宝字三年、
橘右京少輔なる者、
時の帝の皇后の御安産祈願のため
草創したと伝えられ、
以後安産の神として
近郷の崇敬はもとより、
古来の武将の尊崇篤く
八幡太郎義家奥州下降の砌、
戦勝を祈念して欅十八本を奉納、
これを船形に植樹した事により、
以降この森を船森と称し、
鎌倉時代末期には楠正成の居城として、
難攻不落とされた
赤坂城合戦の折の勇士として
太平記の美分に綴られた、
人見四郎入道光行寄進の神櫃があり、
近世では徳川三大将軍家光以降代々の将軍家より、
朱印を受けた事により、
三つ葉葵を当社の紋にして使用しております。
近くは明治五年、時の政府より村社に列せられ、
さらに昭和十八年郷社に昇格せられました。
古来、八王子は素より多西郡と呼ばれた
多摩川の西側の総鎮守として
崇敬を蒐めております。

天平宝字三年(759)、
橘右京少輔が時の帝の皇后安産祈願の
ために草創したと伝えられる古社です。
祭神は木花開耶姫命、天照大御神
素盞鳴尊
大山咋命
奇稲田姫命の5柱です。
木花開耶姫命は天孫瓊々杵尊の皇后で、
際だつ美しさの美女神です。
また素盞鳴尊と奇稲田姫命は夫婦神で、
八岐の大蛇に生け贄にされそうに
なったところを素盞鳴尊が助け、結婚しています。
この二神は氷川神社などで祀られ、
縁結びに御利益があります。


高尾山薬王院

◆高尾山薬王院

東京中心部から西へ約50キロのところに位置し、
江戸時代から信仰の霊山として、
また都民、近県の行楽地として広く知られています。
標高600メートルの山中には
山岳信仰の飯縄大権現を奉る薬王院の諸堂が点在し
自然林のなかに深遠な山容を形成しています。

紅葉の山、杉の山として親しまれ、
鳥や草木の種類が豊富なことで
大自然の宝庫といわれています。

豊かな自然に恵まれているのは、
高尾山が暖帯系の常緑広葉樹林と
温帯系の落葉広葉樹林の境目にあたり
植物の種類が多い事。

また浄心門の近くに「殺生禁断」の
碑があるように、
あらゆる殺生を厳しく戒めるなど
宗教的に保護され、

さらに戦国時代は八王子城を
最北の防衛線とする小田原北条氏、

江戸時代は徳川幕府によって保護され、

明治時代は御料林、戦後は国有林となり、

最近では明治の森高尾国定公園に指定されるなど、
時の権力者や政府によってさまざまな
形で保護されてきました。

山頂への手段としては、
徒歩かケーブルカー、リフトがあり
登山は容易で、

年間の登山者は日本一に輝きました。
東海自然歩道の東京側起点でもあります。
レストランや観光地の格付けで
有名なフランスのミシュランが
初の日本版旅行ガイドブックを発行し、

山では高尾山が富士山と共に
三つ星の観光地として選ばれました。

「大都市近郊にもかかわらず豊かな自然に
溢れている」ということが理由だそうです。

山頂からは東京の素晴らしい
眺めを楽しむことができ、
天候に恵まれれば富士山を臨むことができます。

お寺自体は縁結びの
ご利益をうたっているわけではありませんが、
境内には良縁祈願結び処や、

縁結びの仏である愛染明王を祀るお堂などがあります


新田神社

新田神社

清和天皇より六代の八幡太郎義家の
嫡孫源義重は上野国新田荘を領し、
新田氏を称しました。

新田義興公はその七世の裔(えい)
新田義貞(よしさだ)公の第二子で、
幼名を徳寿丸と申し、
元服の折には後醍醐天皇より
「義貞の家を興すべき人なり」として
義興という名を賜り、従五位左兵衛佐に任ぜられました。

義興公は父義貞公の遺志を継がれ
新田一族を率いて吉野朝(南朝)の
興復に尽力され、

延元2年12月(1337年)北畠顕家(あきいえ)卿と
共に鎌倉を攻略、

翌3年美濃国青野原に於て足利軍勢を撃破されました。

正平7年(1352年)には宗良(むねなが)親王を奉じて、
弟義宗・従弟脇屋義治と共に足利尊氏
・基氏を再度鎌倉に攻め、

之を陥して暫(しばら)く関八州に号令されました。

その後、武蔵野合戦を始め各地に奮戦され、

一時、鎌倉を出て越後に下り待機養兵されましたが、

武蔵(むさし)・上野(こうづけ)の
豪族等に擁立されて再び東国に入られました。

この事を聞知した足利基氏・畠山国清は大いに恐れをなし、
夜討・奇襲を企てるが、常に失敗しました。

そこで、国清は竹沢右京亮(うきょうのすけ)
・江戸遠江守(とおとうみのかみ)らに命じて
卑怯な計略をめぐらしました。

竹沢は公家の少将局という
身分の高い女房を自分の養女にして、
義興公に側女として献じて味方を装い、
江戸遠江守は所領の橘樹郡稲毛荘を没収されたので、
いっしょに鎌倉で戦おうと誘い出しました。

正平13年(1358年)10月10日、
江戸氏の案内で多摩川の矢口の渡から舟に乗り出すと、
舟が中流にさしかかる頃、

江戸・竹沢らにいいふくめられていた渡し守は、
櫓を川中に落とし、これを拾うと見せかけて
川に飛び込み、
あらかじめ穴を開けておいた舟底の栓を抜き逃げました。

舟はだんだんと沈みかけ、
ときの声とともに、川の両岸より
江戸・竹沢らの伏兵に矢を射かけられ、
あざむかれたことを察し、
義興公は自ら腹を掻き切り、
家臣らは互いに刺しちがえたり、
泳いで向こう岸の敵陣に切り込み、
主従14名は、矢口の渡で
壮烈なる最後を遂げられました。

そして、同年10月23日に
悪計加担の渡し守は難船水死し、
江戸遠江守は義興公の怨霊姿に驚き、
落馬し、七日七晩溺れる真似をして
狂い死にしました。

その後、足利基氏入間川領内には
義興公の怨念と化した雷火が落ちたり、
竹沢・畠山については、
罪悪を訴える者があり、
基氏に攻められ諸所流浪の末死にました。

この後も義興公の怨念が
「光り物」となって、
矢口付近に夜々現われ、
往来の人々を悩ました。

そこで義興公の御霊を鎮めるために、
村老等によって墳墓が築かれて社祠が建てられ、
『新田大明神』として広く崇め奉られました。
これが新田神社の起こりです。

江戸時代に入ると、
将軍徳川家の祖先がこの
新田家であるということより、

松平家から「新田大明神縁起絵巻物(都文化財)」や
「新田神君碑(大田区文化財)」の
奉納などもあり、武運長久の守り神として、
武家信仰の神社として栄えました。

その後、蘭学者である平賀源内が新田神社に参拝して、

境内の不思議な篠竹で厄除開運
・邪気退散の「矢守(破魔矢の元祖)」を作り、

広く御祭神の御神徳を仰がしめることを勧めました。

また、源内は江戸一族の策謀を卑劣なやり方として、
この新田神社の縁起をもとに
浄瑠璃・歌舞伎「神霊矢口渡」を脚色し、
これが当時の江戸っ子の気質と合ったかのように、
大変うけて爆発的な大当たりとなり、
江戸庶民の新田詣が始まりました。

現在でもこの「神霊矢口渡」の一部分が
各地の歌舞伎場などで上演されています。

また新田神社が
江戸日本橋から約4里(17km)のところにあり、

「十万庵遊暦雑記」や「調布日記」などの紀行
・案内書類に記されていますように、

目黒不動・大鳥神社→池上本門寺→新田神社
・十寄神社→古川薬師などへとぬける

当時の絶好のハイキングコースのひとつでもありました。

その後、明治6年1月に府社に列し、
同42年9月には特旨を以て、
御祭神に従三位が追贈せられました。

新田神社は、
知恵と勇気に優れた武将、
新田義興を祀る神社で、
「厄除招福」
「必勝開運」
「合格成就」の神様として
現在でも信仰されていることから、
「恋愛成就」にご利益があると人気です。

また、戦災の被害を受けた大きな
「御神木」があります。

この御神木に触れると、
「健康長寿」「病気平癒」
「若返り」のご利益が授かるそうです。

境内には、グラフィックデザイナー浅葉克己による
石の彫刻「LOVE神社」が奉納されており、
彫刻の前で写真を撮ったカップルには

幸せが訪れると評判が高いです


川崎大師(平間寺)

◆川崎大師(平間寺)

今を去る880余年前、
崇徳天皇の御代、平間兼乗という武士が、
無実の罪により生国尾張を追われ、
諸国を流浪したあげく、
ようやくこの川崎の地に住みつき、

漁猟をなりわいとして、貧しい暮らしを
立てていました。兼乗は深く仏法に帰依し、

とくに弘法大師を崇信していましたが、
わが身の不運な回り合せをかえりみ、
また当時42歳の厄年に当たりましたので、
日夜厄除けの祈願をつづけていました。

ある夜、ひとりの高僧が、
兼乗の夢まくらに立ち、
「我むかし唐に在りしころ、
わが像を刻み、
海上に放ちしことあり。
已来未だ有縁の人を得ず。

いま、汝速かに網し、これを供養し、
功徳を諸人に及ぼさば、
汝が災厄変じて福徳となり、
諸願もまた満足すべし」と告げられました。

兼乗は海に出て、
光り輝いている場所に網を投じますと
一躰の木像が引き揚げられました。
それは、大師の尊いお像でした。

兼乗は随喜してこのお像を浄め、
ささやかな草庵をむすんで、

朝夕香花を捧げ、供養を怠りませんでした。

その頃、高野山の尊賢上人が
諸国遊化の途上

たまたま兼乗のもとに立ち寄られ、
尊いお像と、これにまつわる霊験奇瑞に感泣し、
兼乗と力をあわせ、

ここに、大治3年(1128)一寺を建立しました。

そして、兼乗の姓・平間をもって平間寺、
御本尊を厄除弘法大師と称し奉りました。

これが、今日の大本山川崎大師平間寺のおこりであります。

法灯をかかげて、
悠久ここに880余年、
御本尊のご誓願宣揚と正法興隆を目指す
根本道場として、川崎大師平間寺は、
今、十方信徒の心からなる 帰依をあつめています。

馬頭観音堂で赤い布に好きな人の名前を書き、
格子に結んで良縁を祈願することで
縁結びの御利益があるといわれています。

西解脱門から入ったところに
奪衣婆の像があり、容貌を美しくする
御利益があるといわれています。

まとめ

如何だったでしょうか?
大分長文になってしまいましたが東京の観光スポットは
この様に沢山の一度は訪れてみたい観光スポットがあります。
初詣と言わず普段のデートにも訪れると田茂椎野ではないかと思いますよ

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