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五山送り火のタイトル画像

祇園祭と並んだ、
京都の夏の風物詩として多くの方々に親しまれている、

京都の五山送り火!

毎年10万人もの観光客が、

京都五山送り火を見に訪れている

有名な「京都五山送り火」なのです。

今回は「京都五山送り火」が

何時行われるのか?

京都五山送り火の意味や観光スポットの

情報を調べて見ましたので

京都五山送り火を見に行かれる方の為に

参考にして下さい!

■京都五山送り火


8月16日 午後8時点火

8月16日夏の夜空をいろどる京都五山送り火。

祇園祭とともに京都の夏を代表する風物詩の一つである。

この送り火としては東山如意ケ嶽の「大文字」が

もっともよく知られ、

それゆえ送り火の代名詞のごとくいわれているが、

そのほかに
金閣寺大北山(
大文字山)の「左大文字」、
松ヶ崎西山(万灯籠山)
・東山(大黒天山)の「妙法」、
西賀茂船山の「船形」、
及び嵯峨曼荼羅山の「鳥居形」があり、
これらが、同夜相前後して点火され、これを京都五山送り火とよんでいる。

参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/index.html

■各山送り火のよく見えるところ


大文字
 賀茂川(鴨川)堤防〔丸太町大橋〜御薗橋〕


   北山通〔ノートルダム女学院附近〕


   高野川堤防〔高野橋北〕


船 形
 北山通〔北山橋から北西〕


左大文
 西大路通〔西院〜金閣寺〕


鳥居形
 松尾橋・広沢の池など


その他
 市内各ホテル屋上など

■京都五山の送り火について

京都五山の送り火の画像

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夏の夜空に点火されくっきりと浮び上る五山の送り火は

祇園祭とともに京都の夏をいろどる―篇の風物詩である。

この送り火は東山如意ケ嶽の「大文字」が
もっともよく知られているが、

そのほかに金閣寺附近の大北山(大文字山)の「左大文字」、

松ケ崎西山(万灯籠山)と東山(大黒天山)の「妙法」、

西賀茂船山の「船形」および上嵯峨仙翁寺山(万灯籠山・曼荼羅山)の

「鳥居形」があり、

これが8月16日夜、相前後して点火され、
これを京都五山送り火とよんでいる。

―般的に、送り火そのものは盆の翌日に

行なわれる仏教的行事であり(「報恩経」)

ふたたび冥府にかえる精霊を送るという意昧を

もつものであるが

これも、仏教が庶民の間に深く浸透した中世、

それも室町以後のことであろう。

通説によれば、この夜、松明の火を空に投げ上げて

虚空を行く霊を見送るという風習があり、

京都五山の送り火は、

これが山に点火されてそこに

留ったものであるといわれる。

事実、江戸時代に山の送り火とならんで平地でも、

その風習が行われていたようである

(「花洛細見図」所収の送り火の絵図には、

投げあげてはいないが、松明をかかげもち、

あるいは地中に立てて供花している情景が描かれている)。

京都市北部で現在も行われている

(松上げ行事)も、おそらく

この風習と関係があるものとおもわれる。
参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/enkaku.html

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▼点火の起源について

送り火の画像
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このとてつもない行事が、
誰が何時はじめたものであろうか、
という疑問があるが、
残念ながら、それぞれ俗説はありながら、
不思議と確実なことはわからない。

如意ケ嶽の大文字については、
これが送り火の代表的なものであることから俗説も多く 
① 時期は 平安初期、創始者は空海、 
② 室町中期、足利義政、
③ 江戸初期、近衛信尹などがあり、

①は「都名所図絵」などに記されるところで、
往古山麓にあった浄土寺が火災にあった際、
本尊阿弥陀仏が山上に飛来して光明を
放ったことから、
その光明をかたどって点火したものを、
弘法大師(空海)が大の字に改めたというのであるが、
その後近世に至るまで如何なる記録にも
大文字のことが記されていないから
全くの俗説にすぎない。
空海に仮託された起源説は其の他数説あるが、
(「大文字噺」
「山城四季物語」等)いずれもとるに足らない。

②足利義政を創始者とする
「山城名跡志」説は、
義政の発意により相国寺の横川景三が指導して
義政の家臣芳賀掃部が設計したとしている。
(義政が義尚の冥福を祈るために横川が始めたというのも同様のこと)
③近衛信尹の説は寛文2年(1662)に刊行された
「案内者」によると次の如く記されている。

山々の送り火、但し雨降ればのぶるなり…
松ケ崎には妙法の2字を火にともす。
山に妙法といふ筆画に杭をうち、
松明を結びつけて火をともしたるものなり。
北山には帆かけ船、浄土寺には大文字皆かくの如し。
大文字は三藐院殿(近衛信尹)の
筆画にてきり石をたてたりといふ。

 著者の中川喜雲は寛永13年(1636)生れであり、
慶長19年(1614)に歿している信尹と

年代的にあまりはなれていないこと、
また信尹は本阿弥光悦、
松花堂昭乗とともに寛永の三筆といわれた
能筆家であることそれ故信尹に仮託されたと
考えられないこともないなどから、
この説の妥当性が考えられる。
いずれにせよ、
大文字送り火はおそらく
近世初頭にはじめられたものと思われる。
近年大文字送り火に関する古文書、
ならびに大文字山が銀閣寺領であったという
資料が銀閣寺から発見され、
これらの記録から送り火は室町中期足利義政を
創始者とする説がもっとも正しいように
思われると地元ではいっている。

 松ケ崎の妙法は麓の涌泉寺の寺伝によると、
当寺が鎌倉末の徳治元年(1306)日像の教化によって
天台宗から法華宗に改宗した際、
日像が西山に妙の字をかいて点火したものだといい、
法は妙泉寺の末寺下鴨大妙寺二祖日良が
東山にかいたのがはじまりといわれる。

妙・法の2字が同時に作られたものでないことは、
妙が法の左に画されていること
(読みの順序が右読みでなければいけない)からでも
推定されて、
すくなくとも法は、時期として日良の時代
(生歿年1590〜1660)近世初期。
妙は大文字における空海説と同様、
附会の説と考えられ、
戦国末期か近世初頭というところである。

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 船形は麓の西方寺開祖慈覚大師円仁が、
承和年間、唐留学の帰路暴風雨にあい、
南無阿弥陀仏と名号を唱えたので、
無事帰朝できたことから、
俗にこの船形は精霊船といわれており、
その船形万灯籠をはじめたと伝えられる。

船の形をとった動機としてこの
円仁の故事が想起されたとしても、
創始の時期を1100年以前に遡ることは困難である。

鳥居形の場合、弘法大師が石仏千体をきざんで、
その開眼供養を営んだとき、
点火されたと云うが、
むしろ愛宕神社との関係を考えるべきであろう。

 左大文字も計画だけは江戸初期にあったらしいが、
中期以降にはじめられたものであろうと伝えられる。

京都五山送り火の起源については明らかでないが、
地元の人々の信仰をもとにはじめられ
受け継がれてきたからこそ、
それが直ちに記録にもとどめられなかったのであろうと考えられる。

中世末戦国時代に盛んに行われていた
大燈呂の風習を、
当時の公卿山科言継の日記「言継卿記」によれば、
永禄10年(1567)に、
京都の町で2間4方の大燈呂がつくられ、
前代未聞人目を驚かしたといい、
元亀2年(1571)には、
そのような大燈呂が73もつくられ、
町々でその趣好が競われたという。
大燈呂は精霊送り火の―種である
万燈会の余興化したものであり、
おそらくそこに示された人々の信仰と意欲が、
大規模な精霊送り火である
京都五山送り火をつくり出す
エネルギー源となったものと考えられる。
参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/kigen.html
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▼大文字

午後8時に点火
大文字の画像

東山如意ヶ嶽
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 大文字送り火は従来から護摩木に自分の名前と
病名を書いて火床の割木の上に載せて焚くと、
その病が癒るという信仰があり、
又消炭を持ち帰って粉末にし服すると、
持病が癒るともいわれており、
15日から16日にかけて先祖の霊や生存する人の
無事息災が護摩木に記される。

この護摩木は送り火の点火資材として当日山上ヘ運ばれ、
当夜7時から山上の弘法大師堂でお燈明がともされ、
大文字寺(浄土院)住職及び会員並びに参詣者等の
有志により般若心経があげられる。
その後このお燈明を親火に移し、
合図により一斉に送り火が点火される。

大文字は市内のどこからでも眺望できる位置であるが、
如意ケ嶽が、相国寺の領地であったため
この寺の方を正面に照らしたともいわれ、
あるいは足利家が最も眺めのよいように
―条通を正面にしたとか
又、京都御所の池泉にうつるようにしたとの諸説がある。
参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/daimonji.html

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▼妙法


点火時間 午後8時5分点火

妙法の画像

妙は松ヶ崎西山 ― 万灯籠山
法は松ヶ崎東山 ― 大黒天山

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涌泉寺及び妙円寺の各寺の檀家の人々は、
当日朝墓参し送り火の点火により
先祖の精霊を送るのである。
なお点火の際「妙」の山で読経が行われる。
送り火終了後、
午後9時頃から1時間涌泉寺で
「題目踊」
「さし踊」が行われる。
参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/myoho.html
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▼舟形


点灯時間 午後8時10分点火

舟形の画像

西賀茂船山

当日朝早くから、山の麓の3ヵ町―55軒の旧家より
年寄・中老・若中ら約50人が西方寺に集り、
割木などが山上へはこばれ点火準備が行われる。

やがて西方寺の鐘を合図に点火され、
山麓で西方寺住職の読経が行われる。
送り火終了後西方寺に於て六斎念仏が行われる。
参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/funagata.html

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▼左大文字

左大文字の画像
点火時間 午後8時15分

大北山
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左大文字は、岩石が多くて火床が掘り難いところから、
以前は篝火を燃していたが、
現在はコンクリートの火床を使っている。

16日午後7時頃在所の菩提寺である
法音寺門前通りで門火(篝火)を焚き、
先祖の霊を菩提寺ヘ導く。

送り火の親火台で護摩木が焚かれ先祖の霊を
なぐさめる点火法要が行われ、
その火で丈余の親火松明と手松明がともされて、
山上へ運ばれ、山上の送り火が点火される。
参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/hidari.html

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▼鳥居形の点灯の時間

午後8時20分
鳥居形の画像
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嵯峨鳥居本曼荼羅山
点火方法は以前は地面に打込んだ杭に
青竹を結びつけて立てておき、
やがて時間がくると、
太鼓を合図にあらかじめ燃やしてある
親火の所ヘ松明をもって走り
松明に火を移して各火床の青竹に突き差していたが、
現在では、鉄製受皿火床に松明をつきさして点火する。

16日午前8時頃山の麓の会議所から
山上へ薪が搬ばれ、
午後4時頃から再び送り火の点火準備が行われる。
当山の松明は、
松の根の部分(じん)を束にしたものを縦に組んで立てる。
参照 http://www.kyokanko.or.jp/okuribi/torii.html

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まとめ

今回は京都五山の年中行事の記事を掲載しましたが
如何でしたでしょうか?

京都五山送り火は

8月16日の 午後8時に点火殆ど一斉に点火されますが
五山の点火時間が多少異なっています。

今回の記事を参照して頂くことによって

見落としの内容にお楽しみください。

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