SPONSORED LINKS

美空ひばりの歌を聴いていると
歌唱力の素晴らしさと
曲に描かれている風景や心の気持が

私たちの心に響いてくるので感動させられます。

この様な素晴らしい歌手にはなかなか出会えることが
出来ないのが現状ではないでしょうか?

今回は美空ひばりの最後の曲に関係する事柄を調べてみました。

美空ひばりが最後に歌った曲は

「川の流れのように」の様です。

1989年1月11日に発売されたシングル盤です。
日本コロムビアから発売されました。
A面 [川の流れのように]
B面 [あきれたね]

作詞 秋元康(作詞)
作曲  見岳章(作曲)
編曲 竜崎孝路

オリジナルの編曲は竜崎孝路によって行われたのだが
元々は1988年12月発売のアルバム
『川の流れのように〜不死鳥パートII』であった。

『川の流れのように〜不死鳥パートII』は
「自分の歌から遠い若い世代の人たちにメッセージを残したい」
いうひばりの意向により製作されたため、

作詞家・放送作家として若者から人気を得ていた秋元が起用された。

美空ひばりの曲に対する発言の内容

「1滴の雨が木の根を伝い、せせらぎが小川になる。
水の流れがあっちにぶつかり、こっちに突き当たり
しながらだんだん大きくなる。やがて大河になり、
ゆっくりと海にたどり着く」

このほかにこんなコメントもしていました。

ひばりは「えー…もう『川の流れのように』の曲を
1曲聴いていただくと、
10曲全てが分かるんじゃないでしょうか。
だからこれからの私。
大海へスーッと流れる川であるか、
どこかへそれちゃう川であるかっていうのは
誰にも分からないのでね。
だから『愛燦燦』とはまた違う意味のね、
人生の歌じゃないかなって思いますね…」

このコメントを改めて噛みしめてみると
人生の流れを曲の中で見事に表現していることが
解ります。だからこそ心の籠った歌唱力で表現された
事が理解できました。

美空ひばりの最後の曲のゴールドディスクは

美空ひばりの最後の曲は、発売以降大変な売れ行きを
達成して下記の様な大賞を受賞しています。

  • 第31回日本レコード大賞
  • 特別栄誉歌手賞、金賞、作曲賞
  • 第20回日本歌謡大賞・特別栄誉賞
  • 第22回日本有線大賞・有線音楽賞
  • 第22回日本作詞大賞・特別賞
  • 第18回FNS歌謡祭・特別賞
  • 美空ひばりの竿後の曲の公開動画

    2013/09/17 に公開
    ひばりはドーム復活公演の後も
    体調の悪化と戦いながら歌い、
    1曲を完唱した画像として残ったのはこれが
    最後のものとなった。
    全身黒い衣装は彼女が何かを感じていたのかも知れません。

    SPONSORED LINKS

    編集後記

    昭和時代の第スターとして君臨している人といえば
    「美空ひばり」と「石原裕次郎」さんではないでしょうか?

    残念ながらお二人とも故人ななってしまい
    お互いに早すぎての旅立ちなので
    寂しい限りです。

    しかし、お二人とも私たちの心に残っています。
    決して忘れることが出来ないお二人です。

    大変遅くなりましたが
    美空ひばりのプロフィールをご覧ください。
    出生名 加藤 和枝(かとう かずえ)
    生年月日  1937年5月29日
    出身地 神奈川県横浜市磯子区滝頭
    死没 1989年6月24日(満52歳没)
    最終学歴 精華学園高等部卒業

    神奈川県横浜市磯子区滝頭の魚屋「魚増」を
    営む父・加藤増吉、母・喜美枝の長女として生まれています。

    戦敗間もない1945年、
    私財を投じて自前の「青空楽団」を設立。
    近所の公民館・銭湯に舞台を作り、
    ひばり8歳のときに「美空」和枝(母の提案)の名で初舞台を踏む。

    1946年、NHK『素人のど自慢』に出場し、
    予選で『リンゴの唄』を歌いひばり母子は不合格

    不合格の理由
    非教育的だ」
    「真っ赤なドレスもよくない」という理由

    1947年、横浜の杉田劇場に
    漫談の井口静波、俗曲の音丸の
    前座歌手として出演。以来、
    この一行と地方巡業するようになる。

    当時人気絶頂のボードビリアン川田義雄に
    横浜国際劇場公演に抜擢された。
    川田はひばりをそばに置いてかわいがり、
    また、ひばりも川田を「アニキ」と呼びよく懐いていた。

    1949年1月、日劇のレビュー『ラブ・パレード』で
    笠置の『セコハン娘』、『東京ブギウギ』を歌い踊る
    子供が面白がられ、

    同年3月には東横映画『のど自慢狂時代』で
    ブギウギを歌う少女として映画初出演。

    8月には松竹『踊る竜宮城』に出演し、
    主題歌『河童ブギウギ』でコロムビアから歌手として
    B面であるが11歳で正式にレコードデビューを果たした。

    続いて12歳で映画主演を果たした『悲しき口笛』が大ヒット、
    同主題歌も45万枚売れ
    国民的認知度を得た。
    この時の「シルクハットに燕尾服」で
    歌う映像は小さいときのひばりを代表するものとして
    よく取り上げられています。

    この様のとんとん拍子で人気者になったのだが
    晩年になり多難な苦労を乗り越えて
    粥訳してきたのだが

    やっぱり体の病を克服できずに旅立ってしまい
    残念でなりません。

    SPONSORED LINKS